「完璧主義」は、損をします。
例えば皆さんこのブログ、YouTubeの動画、日々の料理でもいいですが、
何かを「人に提供する」場合。
どれくらいの「完成度」で提供するか。というのが今回の話です。
結論から言います。
何事も「100%で提供する」のは、「無理」です。
理由は簡単です。
「あなたは相手ではないから」です。
そもそも100%とは
「相手の求める100%」とはまずどのレベルなのか。
これを知るすべは、我々にはありません。
相手の求めた100%を理解するためには、まず相手のニーズの把握に時間をかける必要があります。
例えば今日の晩御飯であれば、
- 米かパンか麺か
- 付け合わせは
- 飲み物は
- 何時ごろか
などなど。上げ始めたらきりがないです。
しかし、100%でなくても相手は満足してくれます。
これには上に書いた「聞く」ということがとても大きくかかわってきます。
相手も自分の100%なんて実はない
そもそも論、注文している側やお伺いを立てたい相手には
「100%の注文」なんてものはありません。
相手にあるのは、「漠然としたこういうのがいい」というビジョンだけです。
「ここは… あれは… これはこれを使って… 云々…」
という、詳細なイメージはないことがほとんどです。もちろんすべてではないですが。
方向転換に対応しきれないケースもある
途中で方向性を変えられた場合に対応しきれないというのもデメリットです。
もちろん途中で変える相手が悪いという場合もありますが、
責任のなすりあいでは何も進みません。
じゃあどうすればいいのか。
「100%を共に作っていく」姿勢が最も理想形です。
一回のクオリティ ⇒ 何回もすり合わせのスピード感
一回一回自分の100%を出す労力はかなり大変です。
ひな形を作って、精査して、修正して再確認して。
自分なりの100%を何回も捻出するのはかなりの時間がかかる上に負担も計り知れません。
が、ある程度のクオリティ。大体60~70%が良いと言われていますが、
「ひな形⇒ざっと確認」程度で
修正案や今後のプランなどを相手と練り上げていけば、
「相手の満足いく(100%に近いもの)に寄り添って作れる」のです。
相手の意見に合わせてやりたいのですから、相手の意見をよりい聞いて
より相手の意見を取り入れたほうが良い結果になるのは考えれば当然ですよね。
ですが私たちはこれをしません。
日本人は見栄っ張り ⇒ これが損
日本人は潜在的に「相手に気に入られる」事をとても気にします。
怒られないように、相手に気に入られて相手の和に入れるように
こちらからのアウトプットを充実させることで、相手に
「自分には得がある」と思わせたがります。
人種としてそこまで強くない日本人が、同族と結託して生き抜くための習性なんでしょうが、
これが落とし穴です。
今日本人は守られていることも多い
例えば家庭なら最悪警察や裁判所に頼れますし、
会社員だったら上司や法に守られています。
「特定の誰かに気に入られないからって、謀殺されるような世の中じゃない」んですよ。日本は。
相手とイメージを「すり合わせていく」のがコツ
話がそれましたが、要は相手との意見のすり合わせをしっかり行うことがコツです。
そのすり合わせの回数を増やすために、「情報が自分の手元にある時間を減らす」んです。
現に、このブログも割とラフに投稿しています。
なぜなら、精査して修正して…って時間をかけていたら。
投稿できないからです。いつまでも下書きがたまっていってしまうからなんです。
まとめ
「人と人とは100%分かり合うことはできない。」
とはいったもので、
ということは相手の求める100%を提供することは不可能。
自分なりの100%がずれていた場合には修正により多くの時間を要する。
よって、「相手と100%により近づけていけるように」意見をすり合わせ、
作っていくのが最も効率的です。
自分で100%を作ろうとしないでください。
最悪「ありがためいわく」なんていわれるかもしれません。
仕事だったら「詳細はこれから相談したいです」といえばいいし
家庭なら「これでいいよね。あとはなんかある?」と聞けばいいのです。
自分一人で追い求めるのは孤独で非効率です。
もっと周りにしっかり頼りましょう!