私の大切にしている三つの言葉について
みなさん、自分で大切にしている「言葉」ってありますか?
私はそれなりに壮絶(自分的には)な高校生活を送っていく中で
先輩から与えられた、また部活が掲げていた言葉を
「大人になってから」ひどく痛感しており、今回はそれをここに残そうと思います。
私が思い起こして先輩から頂いた言葉の中で大切だと思ったことは二つです。
まずは先輩の言葉から一つずつ紹介します。
「死ぬ気でやんなよどうせ死なないんだからさ」
まぁ結構体育会系の部活動だったら耳にするかもしれませんねw
これが私の中で特別だったことには理由があります。
私この言葉をかけられたとき、周りから見ても本当に死ぬほど本気だったんですよね。
どうせ伸ばすならほめようが怒ろうが同じ理論(たぶん)
先輩の性格や、当時の部活、指導の仕方などを考えた結果ですが、
私の至った結論は「ほめても怒っても伸びれば一緒論」でした。
当時私の部活は150人くらいいましたから、一人一人に合った指導方法。なんてやっていると時間も人員も指導者も圧倒的に足りないんですよね。
そこで、「面白い感じで厳しくすれば」厳しい指導が効く人も、ほめて伸びる人も両方満たしてるんじゃない?的な理論に落ち着きました。
竹中直人さんのあれと同じですw
つまり、先輩なりの効率化と教育の両立が冗談ぽく出た結果だったんだと思います。
単なる先輩のジョークかもしれませんけどねw
「この三年間に情熱を注ぐのはいいことだけ、どこの三年間で残りの人生を棒に振る必要はない」
私、実は高校生の時に左半身の筋肉を痛めてるんですよね。整体に行った時の先生は
「筋肉疲労」と言っていましたが、まぁ正直私は調べもせずに部活動してました。
そんなある日私が練習中に、すっぽり腰が抜けてしまったんですよ。
そんなところを見られたものですから、先輩に痛めてから病院に行ってという一連の流れを説明させられました。
その時に言われたのが言葉です。
情熱=すべてを捨てる はある意味逃げている
先輩はそのあとにこう続けていったんです。
「お前が頑張って情熱を向けたものを、将来自分が不自由になる時の理由に使いたいか?」
自分が好きで頑張ったものを自分の障害として残すのは自分自身として納得できるのか。
お前は輝かしい思い出を自分の障害の瞬間にしていいのか。
そう問われました。
今後の人生の言い訳を作るな。そういわれた気もしました。
頑張るというのは身を粉にすることではなく、健康で効率的で
純粋な努力をできることだと思うんですね。私は。
それこそ「今が良ければいい」と言っているのと、同義とすらいえます。
未来を見つめて、でも今を全力で生きる。
こう考えると、このバランスって難しいのかもしれませんね。
習慣は第二の天性なり
正直、これが書きたくて今回の題目にしたといっても過言ではないんですよね。
習慣は第二の天性。これが私のいた部活に伝わっていた言葉です。
解説
トレーニング、基礎的な練習、掃除から勉強まで同様ですが、
心の中で「やらなきゃいけないことリスト」にそれらが入っている間は、面倒だとか他に用事がとかでやらなかったりさぼったりという気持ちがよぎってしまいますが、
それらのやらなきゃいけないことを意識して毎日しっかりやることで習慣化すれば、
何の苦も無くそれらをこなせる。まるでそれが自分の天性かのように当たり前にできるようになる。
という意味を込めてでした。
やりたいこと = ずっとやれるわけじゃない
このブログももちろんそうですが、「習慣化することで」しっかり続けていこうと思っています。
今これをやりたい、将来的にここに収束させていきたい。
そう思ったところで、そのモチベーションを何日何週間何か月何年と続けるのは至難の業です。
必ずどこかで挫折、あきらめ、絶望。何かしらを体験します。
ですが、それが習慣になっていれば、止まることはありません。
止められない。やることが当たり前。やらないことに違和感を感じる。
それが、習慣だからです。
まとめ
あなたの中には大切にしている言葉。
大切にしたいと思った言葉。
大切な人の言葉でもいいです。
以前「影響される」という記事も書きました。
一つの言葉、一人のメンターを作るために、いろんな言葉を思い返し、
自分に影響を与えてくれようと人たちを思い返してください。
身近なところに自分に足りない言葉、自分に必要な要素が
遠い過去から見つかるかもしれません。
ちなみに私は、15歳の時の言葉が30になって心に沁みました。
折り返しでもまだ間に合うと思っています!
今回の記事はちょっと思いが先行して書いてしまったので
節々がおかしいかもしれませんのでいずれ丸々書き直しますw